会長あいさつ

会長
福田 進太郎

 私は、福本陽平会長の後任として令和4年5月15日付で第13代会長に選出されました福田進太郎と申します。昭和54年山口大学医学部卒業で、消化器外科医として医師人生を歩んで参りました。今後とも皆様のご指導、ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。
さて、新型コロナウイルスのパンデミック発生から2年余りが過ぎ、世界はウィズコロナの時代に入りました。変異を続けるウイルスに対する治療法、治療薬の開発もスピード感をもって進みつつあります。今後医療界の社会に対する貢献がさらに重要となる時代になると思われます。会員の皆様におかれましては、多忙な生活が続いていることと思われますが、どうぞ健康に留意されて頑張っていただきたいと思います。
一般社団法人霜仁会は、山口大学医学部医学科の卒業生、在校生ならびに山口大学医学部に縁故のある医師や医学研究者で構成されている組織です。令和4年5月現在で会員数は6,400名を超え、全国には33か所の支部がおかれ、霜仁会OBは国内外の有名な大学・研究施設で医師や研究者として、あるいは国や地方の厚生行政官として、また、地域における重要な医療の担い手として多くの先生方が幅広く活躍しておられます。
母校である山口大学医学部は、昭和19年に山口県立医学専門学校として宇部市に開校されました。開校にあたっては、当時の山口県医師会長であった渡辺剛二氏 (宇部興産会長兼務)の尽力に負う事が大であったと言われ、同社の沖之山同仁病院が附属病院に充てられました。また、初代校長の冨田雅次先生は、設立の精神として昭和の松下村塾を目指されました。しかし、第二次世界大戦後に行われた教育改革により、戦後の連合軍GHQは 医学校の統廃合を命令し、山口県立医学専門学校も廃校か存続かの岐路に立たされました。そこで、同窓生や学校関係者が中心となり、政治家や市民を動員した大規模な運動を展開して学校の存続を勝ち取られたものです。
山口大学医学部同窓会は、昭和27年に山口医専同窓会として発足しましたが、昭和29年に山口県立医学専門学校と山口県立医科大学の同窓会が合併し、「霜仁会」の名称で新たに同窓会が組織されました。その後山口県立医科大学は、昭和39年に国立大学に移管して山口大学医学部となり、平成 16年には法人化して国立大学法人山口大学が設置する国立大学となりました。本会も大学の国立移管に併せて山口大学医学部同窓会となり、昭和55年 には自ら公益法人格を得て、社団法人霜仁会となりました。その後平成25年には一般社団法人の認可を山口県から受けて現在に至っています。霜仁会の名称の由来は、昭和29年当時学長であった松本彰教授が、宇部市における中世期の遺跡がある高峯の山「霜降山」の「霜」と「医は仁術」の「仁」をとって、「霜仁会」と命名されたと聞き及んでいます。平成9年に、山口大学医学部創立50周年記念事業として医学部キャンバス内に竣工した白亜の建物「霜仁会館」は、木田池とともに春は桜にツツジ、秋は紅葉と銀杏に飾られて、医学部キャンパスにおける憩いの場となっています。加えて現在この会館は、医学部や会員の皆様の研究会やその他の集会に頻繁に利用されており、医学部キャンパスの中で重要な存在になっています。 時代の要請に応じてWi-Fi環境や画像装置も整備され、Web会議などもスムーズに実施可能です。また、平成20年に医学部に隣接した地に建設された霜仁会医学交流会館は、現在3階部分に霜仁会本部が置かれており、この建物の2階部分では昭和52年からの霜仁会検査センターの事業を継続しています。昭和43年度から霜仁会の最も重要な事業の一つとして、会員の優秀な業績を表彰する霜仁会賞が設けられました。これまでの本賞受賞者は世界の一流紙に掲載される業績を残され、その後医師や医学者として大いに活躍しておられますので、会員の皆様の霜仁会賞ヘの応募をお願い致します。
この歴史と伝統ある霜仁会の運営の重点は、本会の定款にありますように、会員相互の親睦と交流を深めその発展を図るとともに、母校である山口大学医学部の大いなる発展のために、様々な形での協力や支援を行うことにあります。この立派な霜仁会の目途達成のため、微力ではありますが他の役員共々精一杯頑張ってまいる所存ですので、是非とも霜仁会会員の皆様方や関係各位の暖かいご支援、ご協力を戴きますようよろしくお願い致します。

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